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      <title>作品に魅せられて</title>
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      <description>時代の背景を映す作品たち</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>ヨーロッパのジュエリー「アール・デコ」その３</title>
         <description>アール・デコの名称は、1925年にパリで開催された、「現代の装飾美術(アール・デコライフ)と産業美術国際博覧会」という長い名前の会に由来します。

働く女性が身に着けられるもの、そして歴史上初めて自分の稼いだお金で自分のジュエリーを選ぶようになった女性が好んだもの、それが幾何学形状のシャープな線を生かしたデザインであったのは十分に理解できます。

丸や楕円、三角、四角、菱形といった形を地金で成形したり、その形を石でカットしたものを繋ぎ合わせたりしてデザインを構成した。

機械や工業製品を思わせる画期的なもので、デザイン優先の傾向が強く、非常に大胆かつダイナミックです。

まさに時代の工業化を象徴するデザイン！と言う感じです。

エスニックなジュエリーの方はトウッティ・フルッティと呼ばれるものが代表格で、インドから渡来した彫りを入れたルビーやサファイア、エメラルドなどで鉢や籠に入った花や果物をデザインしたものでした。

また、宝石に合わせて金属枠を作るのではなく、逆に金属の台座に合わせて磨り上げたカリブレ・カットの石で模様を描いた製品なども、平行して作られました。
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         <pubDate>Fri, 02 Jul 2010 14:35:13 +0900</pubDate>
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         <title>ヨーロッパのジュエリー「アール・デコ」その２</title>
         <description>ジュエリーもまた、奇抜な曲線を誇示した[アール.ヌーヴォー]や大振りかつ繊細なエドワーデイアンのジュエリーは、もはや、時代の女性たちには全く合わないものとなっていきました。

普通[アール・デコ]のジュエリーと言うと、きわめて男性的な幾何学的デザインのやや角張ったものを想像するが、実際には全く傾向の異なるもうひとつのジュエリーが並立の形で存在しました。

それは中国や日本、さらにはインドなどの装飾やモティーフを西欧風にアレンジし、イさんごンドからの色石や中国の斐翠、珊瑚などを使った、きわめてエスニック色の強いカラフルなジュエリーでした。</description>
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         <pubDate>Tue, 15 Jun 2010 14:34:42 +0900</pubDate>
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         <title>ヨーロッパのジュエリー「アール・デコ」その１</title>
         <description>1914年から18年まで続いた第一次世界大戦は、自分たちこそ世界の中心と思い込んでいた19世紀的発想の欧州に、強烈な打撃を与えた。

戦死者は一千万人を超え、それまでの支配階級であった王侯貴族が実に多くの国で姿を消しました。

理由はさまざま異なるものの、事態はロシアとオーストリア、ドイツ、ポルトガルへと広がり、やや遅れてトルコやバルカン諸国へと飛び火します。

その間、戦争に行った男たちの隙間を女性が埋めます。

ここに初めて、本格的な女性の社会進出が始まるとともに、これまでの豪奢を支えてきた階級が姿を消してゆきました</description>
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         <pubDate>Tue, 01 Jun 2010 14:34:19 +0900</pubDate>
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         <title>気になるカルテイエの歴史！その４</title>
         <description>920年代の[アール・デコ]の時代になると、やはりプラチナの台座にインドから渡来した彫りのある色石を用いて花籠や果物籠をデザインしたトゥッティ・フルッティと呼ばれるジュエリーや、社会進出を果たした女性たちが用いるバッグや化粧道具入れなど、さらには腕時計などを宝飾技術と素材を用いて作り、多くの名品を残しました。

また、ミステリー・クロックと呼ばれる置時計も、この時代の傑作です。

アメリカ人にホープ・ダイヤモンドなどを売り込んだのも、この時代のカルティエでした。

オリジナリティを保ちながら、したたかな商売人に徹した一族、それがカルティエです。

かっこいいですよね～</description>
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         <pubDate>Sun, 16 May 2010 14:33:50 +0900</pubDate>
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         <title>気になるカルテイエの歴史！その３</title>
         <description>ジュエリーの歴史の上でカルティエが最初の際立ったデザ盤息インカを見せたのが、ベル・エポック後期のプラチナを使ったガーランド・スタイルのジユエリーです。

カルティエの二代目アルフレッドの時代に、当時は新しい貴金属であったプラチナを採用するとともに実に精密かつ繊細な技術を用いて、コルサージュ・ブローチやティアラといった大型のジュエリーを数多く残しました。

プしのラチナの細工技術としては、今日でもこれを凌ぐものはありません。</description>
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         <pubDate>Sun, 02 May 2010 14:33:26 +0900</pubDate>
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         <title>気になるカルテイエの歴史！その２</title>
         <description>カルティエ一族が成功した最大の理由は、各世代の流行と時代ごとの顧客の望むものについて、芸術家めいた不必要な反発をすることなく、それでいて若干のカルティエ風のアイデアをさり気なく製品に取り入れた無理のなさにあります。

創始者のルイ・フランソワ、息子のアルフレッド、孫のルイとピエール、ジャックの三代にわたり、パリからロンドン、さらにはアメリカへと営業網を広げ、最初は欧州の王侯貴族、次いでアメリカの新興成金たちを顧客として、膨大な数の、きわめて高価なジュエリーを世に送り続けました。

そのジュエリーのどれもが、デザイン傾向こそさまざまであっても、すべて端正であり最高の製作技術を駆使したものであることは一貫しています。
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         <pubDate>Sun, 18 Apr 2010 14:33:02 +0900</pubDate>
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         <title>気になるカルテイエの歴史！その１</title>
         <description><![CDATA[現在も世界の主要都市に店舗を広げて盛業中のカルティエ社は、1847年にルイ・フランソワ・カルティエの手で開業し、1960年代にカルティエ姓を名乗る人がすべて引退するまで、ほぼ四代にわたり世界の高級ジュエリー界に君臨してきました。

もちろん、一族色が消えた後も今日に至るまで、代表的な高級宝石店の名前を維持しています。

このカルティエほど、企業としての成功とジュエリーの創造の双方を、長きにわたって維持し続けた企業はありません。

時代の流れを巧みに取り入れて文化性を保ちながら、実際の商売も上手いという不思議な才覚を兼ね備えた一族です。

<img alt="916647-1.jpg" src="http://ownerfinanced.info/images/916647-1.jpg" width="210" height="190" />



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         <pubDate>Thu, 08 Apr 2010 14:04:59 +0900</pubDate>
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         <title>ベルト・モリゾの肖像</title>
         <description><![CDATA[<img alt="Edouard_Manet_04.jpg" src="http://ownerfinanced.info/images/Edouard_Manet_04.jpg" width="300" />

「ベルト・モリゾの肖像」　　1872年　　オルセー美術館蔵



この作品に描かれるのは、マネの良き友人で師弟関係だった印象派の女流画家ベルト・モリゾ。

マネ独特の大ぶりな筆触や平面的な画面展開、抑えられた落ち着きのある色彩などが特徴です。

ベルト・モリゾがルーヴル美術館で模写をおこなっていた時に、画家の友人アンリ・ファンタン＝ラトゥールから同氏を紹介されて以来、マネとベルト・モリゾは親密な交友関係を持つようになりました。

前回紹介した『バルコニー』を始め、マネは何度もベルト・モリゾをモデルに作品を手がけています。

この作品は、マネが1872年にベルト・モリゾの肖像を描いた4点の作品の中の1点。

観る者と対峙し、こちらを見つめるベルト・モリゾの魅力的な表情の描写は見事です。

衣服と帽子の黒色は画面の中で圧倒的な存在感を示し、この黒色と背景に用いられた灰色が画面の大部分を占めることによって他の色味が引き立っています。

肌の色や茶色い髪の毛、すみれのブーケの控えめな青色。

それらがより洗練された印象を与えてくれます。
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         <pubDate>Sun, 28 Mar 2010 12:01:32 +0900</pubDate>
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         <title>バルコニー</title>
         <description><![CDATA[<img alt="balconi.jpg" src="http://ownerfinanced.info/images/balconi.jpg" width="200" />

バルコニー　1868年　オルセー美術館蔵

この作品は、発表された当時「現代の生活を、ただ描いただけの絵」、「画布に絵具を塗っただけの平面的な絵」として批難を受けたそうです。

真正面から捉えられた画面構成は、部屋の奥行きを感じさせません。
古典的な描写をせず、平面的で装飾的に描かれた光の描写は、衣服や物体の立体感を失わせています。

そして無感情な人物描写。

これらの要素は画面の中に緊張感を生み出しています。

このような手法はマネの絵画における空間構成の疑念と、アカデミックで伝統的な絵画芸術に対する挑戦の表れでした。

この作品は、マネの絵画的思想の特長を良く示しているとして、重要視されています。

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         <pubDate>Sat, 13 Feb 2010 16:33:59 +0900</pubDate>
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         <title>エミール・ゾラの肖像</title>
         <description><![CDATA[<img alt="zora.jpg" src="http://ownerfinanced.info/images/zora.jpg" width="200" />

『エミール・ゾラの肖像』　1868年　オルセー美術館


画家アントワーヌ・ギュメの紹介で1866年にマネと知り合った、小説家で批評家のエミール・ゾラ。
彼とマネの友情は長く続きます。

この肖像画は、エミール・ゾラが冊子「エヴェヌマン」の中でマネを強く擁護してくれた分析的論文に対して、マネがゾラへの感謝と賞賛の証として描いた作品です。

机の上には様々な書物や小冊子が置かれており、その中に画家の署名代わりともなっている「MANET」の文字が記された、マネに関する冊子があります。

壁にはマネの代表作『オランピア』の版画や、ディエゴ・ベラスケス作『バッコスの勝利』のエッチング、そして当時マネが強く関心を寄せていた、二代目歌川国明による浮世絵の木版画『大鳴門灘右ヱ門』が飾られています。

また、ゾラの背後には琳派を思わせる屏風絵が描かれています。

細かい部分までおもしろい、マネの代表作です！

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         <pubDate>Fri, 15 Jan 2010 12:25:12 +0900</pubDate>
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         <title>皇帝マクシミリアンの処刑</title>
         <description><![CDATA[この作品もマネの代表作として有名です。
この『皇帝マクシミリアンの処刑』は、1867年に製作された油彩画。現在はマンハイム市立美術館に展示されています。
<img alt="Manet_022.jpg" src="http://ownerfinanced.info/images/Manet_022.jpg" width="200"/>

この作品に描かれているのは、ナポレオン 3世の要請によってメキシコ皇帝に即位した、オーストリア皇帝フランツ・ヨゼフの弟であるマクシミリアン大公が、メキシコのベニート・フアレス軍によって銃殺刑に処される場面です。
構図やその画面構成は、ロマン主義の画家フランシスコ・デ・ゴヤの傑作『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』から着想を得られていることが知られています。

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         <pubDate>Fri, 25 Dec 2009 12:51:21 +0900</pubDate>
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         <title>笛を吹く少年</title>
         <description>緊張気味？にポーズをとり、笛を吹く少年は、友人であった軍の高官が連れて来た、近衛軍鼓笛隊員だそうです。
なんで・す・が・一説によると顔の部分だけ、マネの息子のレオンであると言われています。
モデルを連れてきて顔は、自分の息子と。
マネ、やり手ですね。

それと、無地の背景にどどーんと描いた人物像という手法は、17世紀スペインの画家ベラスケスの手法と似ているそうです。

マネは、同じテーマを繰り返し描いたりすることはなかったそうです。
色んなジャンルに挑戦をする画家ですね！</description>
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         <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 18:20:44 +0900</pubDate>
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         <title>テュイルリーの音楽会</title>
         <description><![CDATA[<img alt="ongakukai.jpg" src="http://ownerfinanced.info/images/ongakukai.jpg" width="250" height="184" />

友人、知人、家族を総動員して描いた、「テュイルリー公園の音楽会」！
人間関係図みたいな感じでしょうかね。

オッフェンバック夫妻、ファンタン・ラ・トゥール、後にベルト･モリゾと結婚する、弟のウジェーヌ･マネ、ボードレール、シャンフルーリ等、彼の周辺の芸術家、文化人たち。
そして・・・・一番左手の背の高い人物は、誰だと思いますか？
そうです、マネさん自身です！

親しい友人のアルトナン･プルースト氏によると、マネは「優雅で風格のある体格、身のこなし。品のある、いきいきした顔立ちで、溢れる才気と懐疑的傾向があったにもかかわらず、無邪気」で、周りの人たちを惹きつける、とても魅力的な人物だったとか。
もういませんが・・。是非、会ってみたいですね！

現代的な都会の雑踏を描いたこのような絵は当時としては革新的で、ボードレールの美術批評で語られた「近代性」の理論を意識したものと言われているそうです。
そして、下絵のような荒いタッチは当時の批評家たちには不評だったそうですがが、来るべき1870年代の印象派の先駆けと評価されているのです！たかが批評家です、そういうものです。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 28 Oct 2009 11:49:42 +0900</pubDate>
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         <title>交流</title>
         <description><![CDATA[マネは画家仲間のだけではなく詩人、作家との交流もあって、近代詩人の祖であるシャルル・ボードレール、エミール・ゾラ、そしてステファヌ・マラルメなどと深～い親交があったのです。
ボードレールはエッチング、ゾラとマラルメは油彩による肖像画がマネによって描かれているんですよ～。

また、ドガに描かれた室内画を「妻の顔が太りすぎている」という訳のわからない理由で一部を破り捨て、その後ドガとは険悪な関係になったという・・・。浅い関係ですね。
あ、この絵は、北九州市立美術館で見ることが出来ますよ！

<img alt="mane_fujin.jpg" src="http://ownerfinanced.info/images/mane_fujin.jpg" width="270" height="240" />
]]></description>
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         <pubDate>Tue, 08 Sep 2009 17:47:19 +0900</pubDate>
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         <title>『オランピア』</title>
         <description><![CDATA[<img alt="21.jpg" src="http://ownerfinanced.info/images/21.jpg" width="300" height="206" />

マネがそれまでの伝統を打ち壊し、近代の画家となれたのは、あるいはマネが描く絵画そのものに隠された謎のモチーフの数々の意味するところは何か・・・・『草上の昼食』における蛙や鳥、『オランピア』における黒猫などなど。

沢山のモチーフがありますね～、意味を考えていると・・・楽しいですよ＾＾
これらの謎も、マネの大きな魅力の一つかもしれませんね。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 22 Aug 2009 22:35:12 +0900</pubDate>
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